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update:2015-12-28 16:52

岡本敏明(手稲区)さん 東北被災地のボランティアをさせて頂いて

 私は2011年6月から2015年10月まで、札幌市社会福祉協議会のボランティアバス等で10数回、東北の被災地でボランティアをさせて頂きましたので、今年6月の福島県(南相馬市・飯舘村・岩城市)、と10月の岩手県(大槌町・釜石市・陸前高田市)、宮城県(南三陸町・気仙沼市)を中心に、現状の一端と私の感じた事をご紹介させて頂きます。
 今回の活動内容は瓦礫撤去・海岸清掃・防潮林の植林等でした。
 岩手県・宮城県は道路・海岸線沿いを中心に重機・ダンプカーが大量に導入されようやく復旧工事が最盛期を迎えた感じでした。特に陸前高田市では、かさ上げ用土を運ぶ大きなベルトコンベヤーが町の中心部を覆い巨大な工事現場のようでした。
 高速道路の復旧工事は急ピッチで、それに比べて災害公営住宅の建設や集団で移転する高台の造成工事が遅れています。順番が逆の様におもいます。(仮設住宅には不自由な生活をされてる方々が、今なお約10万人もおり最大あと5年程、仮設住宅の生活が続くとも言われています。)

 大槌町の海を望む丘に「風の電話」という線の繋がっていない電話ボックスがありました。庭師の佐々木さんが設置したもので中には黒電話が1台あり、傍には次のように書いてありました。
  〔風の電話は心で話します 静かに目を閉じ 耳を澄ましてください
   風の音が又は浪の音が 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら
   あなたの想いを伝えて下さい]
 「風に乗せて、会えなくなった人に思いを伝えてほしい」とのおもいで設置された風の電話には今もほとんど毎日、心の重荷を消し去れない被災者らが大切だった人とのつながりを求めに訪れています。電話の傍に置かれたノートには「今やっと、お別れできました……」等、訪れた人達の切々とした思いが書かれていました。

 被災地の方々とお話しさせて頂くことも何度かありましたが、その都度、目がしらが熱くなり、胸を締め付けられる思いをしました。特に気仙沼の離島、大島でのお話しには言葉を失いました。
 津波とその後の大火災でたくさんの方が亡くなられ葬儀が間にあわず、ご遺体をビニールに包んでそのまま地面を掘って埋め、順番がきたら又掘り起こして火葬をしたとのことでした。さらにビニールもなくなってからは、ご遺体をそのままで土の中に埋め、掘り起こして火葬にしたとのことですが、その作業をした地元の方はあまりの酷さが脳裏にこびりついて、今でも眠れない夜があるとのお話しでした。私を含めほとんどの人が涙をこらえながらお聞きしたと思います。昨年の作業では小さな遺骨が他の動物の骨と共に数点見つかり、すぐ警察官が来て調べていました。
 また、南三陸町の防災センターで最後の最後まで町民に避難を呼び続けて亡くなられた
 遠藤未希さんのご自宅・民宿「未希の家」を訪ねて、御仏前にお参り後お母さんのお話をお聞きしました。「鉄骨の頑丈な建物なので生きていると思っていた。責任感の強い子で最後まで避難を呼びかけた娘を誇りに思うし褒めてあげたい。でも…生きていてほしかった……。娘を忘れないように民宿名に娘の名をつけ毎日呼んでいる……」の涙ながらのお話には胸がいたみ、ただ黙ってお聞きするだけでした。

 福島の浪江町では、今回の原発事故によって「立ち入り禁止区域」になった所に「取り残された牛たち」400頭ほど飼い続けている「希望の牧場」がありました。
 吉沢正己さんという方が餌不足が深刻化していくなかで、近くの牧場の牛を引き取ったりして、今も売れない牛を飼い続けていました。
 その牛の約3割に原因不明の白い斑点が出ていたのがとても気になりました。
 福島県伊達市に古民家を改装し自然に囲まれた「暮らし茶屋・風知草」で食事をしましたが、東北各地の伝統食と食材を取り入れ「食を通して人の心と心が結ばれる空間作り」をめざして頑張っている樋口さんという若夫婦の店で、鯉の甘煮、生姜味味噌おでんがとても美味しかったです。

 通過だけが可能となった国道6号線を南下すると、福島第一原発付近では持参した測定器(線量計)が鳴りだしその値は基準値の約7倍の 4.27μSv/hを示し、海側の立ち入り禁止地区にはバリケードの前に警察官らしき人が必ず立ち、監視していました。
 又、立ち入り禁止区域の直近の富岡駅の海岸近くでは4年前の津波で時間が止まったように、大破し朽ちかけた街の静寂がありました。
 南相馬市付近では、街の空地のいたる所に、除染土を1.5t入れたフレコンバックという黒い袋詰めが置いてあり、自宅前の庭に置いてる方もいました。フレコンバックの仮置場と思われる大きな工事もあちらこちらの海岸近くで行われていました。

 私が見た福島県の復興は殆ど手付かずの状態で、東北の被災地の方々が元の生活に戻るにはまだまだ時間がかりそうです。大きなことは、政治の力によらなければと思いますが、私は離れていても自分の出来る支援を少しずつでもさせて頂きたいと思っています。例えば、スーパー等で発行の被災地支援の買い物カード使用・被災地の特産品購入・被災地への旅行等、これらのことを皆様と一緒に今後も続けて頂きたいと思います。家族をなくし、家を失い、職場を失うという大変な災害にあい、辛い思いをしている方々ですが、私がお会いした皆様は私達を温かく迎えてくれ又、復興への長い道のりを覚悟しながらも必死に、力強く頑張っておられました。

かさ上げ用土を運ぶ巨大ベルトコンベアー(陸前高田市)

大槌町旧役場

富岡駅跡

除染土1.5t入りのフレコンバック

工事中のフレコンバックの大きな仮置場

浪江町(希望の牧場)の白い斑点のある牛

植林作業中の岡本さん

国道6号線のモニタリングポスト(4.174μsv/hを表示)

津波で壊れた建物

 
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